国家ブランディングをめぐる議論
[2014年11月20日更新]
1節 政治的認識論
国家ブランディングの政治的認識論
ここでは、ヴァンハムの二つの論文を基にしたうえで、彼の「ブランド国家論」を整理していく。「国家をブランディングすることでソフト・パワーを実現する、そういう形で国家は競争するようになった」というのがブランド国家論の本質であり、その点をソフト・パワーの議論も統合した形で紹介する。
The Rise of the Brand State
ブランドが消費者の製品に対するイメージで構成されるのと同様に、「ブランド国家」は外界の国家に対するイメージによって構成される(1)。情報が氾濫する今日の世界において、海外からの直接投資を誘引し、優秀な人材を獲得し、政治的な影響力を発揮するためには、強い国のブランド・イメージが必要であり、他国が自国に対し抱いているイメージをうまく形づくらなければならない。そのためには世界中の「消費者」(global audience of consumers)の心情に訴え共感を誘うことが効果的であり、多くの場合地理的/政治的背景よりも、文化的固定概念を用いて国家に感情的次元を与える手法がとられる。
ブランドを持たない国家は世界の経済的/政治的関心を集めることに苦戦するため、悪い評判を持つこと、または評判を全く持たないことは国際舞台で競争力を維持しようとする国家にとって深刻なハンディキャップになりかねない(2)。よって、イメージと評判は国の戦略的資本の重要な部分になりつつある。ブランドは顧客の信頼と満足度に依存するものであり、私たちは消費する製品と同様に、国家に対しても表面的なイメージを基に評価を下すことが多い。これをヴァンハムは「実体よりも見栄え」(Style Over Substance)(7)と呼んでいる。ブランド国家が独自のイメージを築きあげるために歴史、地理、民族的モチーフを用いるということは、ナショナリズムに伴うような根深いナショナルアイデンティティーを欠くため、対立をより招きにくい。これは言わば良性のキャンペーンであるため、肯定的な進歩と捉えることができる。
従来の伝統的外交が消えつつある今、政治家は今後ブランド資産管理に努めなければならない(3)。ブランドとして成立する自国の得意分野が何であるかを見いだし、競争の激しい市場に参入し、確実に消費者を満足させていかないかぎり、イメージと影響力が幅を利かすポストモダン社会で生き残るのは難しいとヴァンハムは主張している。
Place Branding
この論文では、プレイス・ブランディングを国際政治学における政治的現象として捉え、ブランディングと国際政治の関係を描き出している(4)。結論から述べると、ヴァンハムは、プレイス・ブランディングはソフト・パワーやパブリック・ディプロマシーと同様、広義な意味でのポストモダン・パワーであると述べている(5)。ホッブの発言を引用し、アイデンティティは文脈によって順応性のあるものであると論じているが、これはコンストラクティビズムの流れを汲んだ論理である。国家のイメージは信用、疑念、歴史や評判によって構成されているというコンストラクティビズムの考えは、ブランド国家が自身のブランド・イメージや役割、アイデンティティを構築できるとする、プレイス・ブランディングの論拠となっているのである(6)。しかし、このコンストラクティビズムの考えにも、国際的な規範がどのように他国へ入るのかというメカニズムに言及できていない点や、ある規範がある国家では劇的に浸透し、他の国家では全く影響を与えない場合があるという点に関して、今後より一層の研究を要する側面がある。
さて、上記がプレイス・ブランディングの学術的な位置づけであるが、次はヴァンハムが四つにまとめた、商業的、政治的ブランディングが重要な理由を以下に紹介する。1.ブランディングは感情と信頼を製品に加えるため、消費者の購買意思決定をよりしやすくする。2.ブランドと消費者間の感情的関係はブランドに対するロイヤリティを呼ぶ。3.ブランドは連関性を失っている政治プログラム、理念の代替役割を果たす。4.感情、関係、価値を混合する事は製品やサービスに付加価値を与える(7)。
一般的に、ブランディングと言うと商品やサービス、アイディアの販売と結びつけて考えられがちであるが、同時にアイデンティティやブランドロイヤリティ、評判等をいかに管理するかという観点も非常に重要である。この観点は、国際政治の潮流の変化を論じる際に、常に意識されていなければならないのである(8)。
ブランド国家論
上記の二つの文献を踏まえたうえで以下の通りに国家ブランド論を整理することができる。ブランド国家とは、他の世界から見たある特定の国に対するイメージの集まった国家のことを言う(9)。ここでいう他の世界とは、他国だけでなく人や企業なども指している。このブランド国家の考え方が近年の国家戦略で大きな要素の一つとして重要視されるようになってきたのである。もともとは、軍事力や経済力などの直接的な力(hard power)を行使することで政治的な影響力や優秀な人材を獲得してきた。これを、イメージや評判を確固たる形で示すことによって政治的な影響力や優秀な人材を獲得し、同時に海外からの投資を呼び込むことができる国家がブランド国家であり、その性質の有用性は時代を経ることに大きさを増しつつある。
しかしながら、一点注意しなくてはならないのは、ブランド国家が他国にはない自国の独自性をもったイメージを確立していくことが重要にはなっていくのだが、これは必ずしも国家主義などと深く結びつきやすいナショナリズムを持ち出してくることとは同義ではないということである。ブランド国家はあくまでも他の世界からどのように見えるのかというイメージを集めて作り上げられたものであり、自国の主張を他の世界に無理やり押し付けていくことでは作られることはないのである。
今後ますます重要になっていくブランド国家ではあるが、その戦いの場は着々と広がりつつある。一昔前は単純に他の国家のみを競争相手として認識していればよかったが、今ではEUなどの国家間同盟やNOKIAなどの多国籍企業もその競争相手となり得る。これらも年々数は増えているので、その中で自国のブランドをどのように扱っていくかがこれからのブランド国家としての戦略の肝となってくるのであろう(10)。
国家ブランディングとソフト・パワー
ここからは、国家ブランディングの議論とソフト・パワー論を比較してみる。まず、ヴァンハムの理論においてもジョセフ・ナイの理論においても大前提である認識は同じである。それは、国家から非国家主体への力の拡散がみられているということである(11)。このような前提認識のもとで、国家以外のアクターの多様化により、多角的情報の発信と受信が可能になることで、アクターからの「評判」が大切になってくるとヴァンハムとナイが指摘している。そのために、国家ブランディングをすることの大切さや、ソフト・パワーを行使することの重要度がますます上がるだろう。
次に、国家ブランディング論でもソフト・パワー論でも基本となる条件として以下の三つが挙げられている: 文化、外交政策、政治的価値観である(12)。ただし、これらの「条件」はナイの議論では「資源」と表現されている。しかし、これらの「資源」もしくは「条件」をどういう戦略で行使すべきかという問いに対するアプローチは、ナイとヴァンハムの間で異なる。ヴァンハムはやや商業的な視点で、政治家の競争市場参入やカスタマー満足度の確認などといった具体的な方法を提示している。例えば、"Like commercial marketing and PR, it needs to identify target audiences in each country or region and tailor strategies and tools to reach these audiences in a variety of different ways(13)."とヴァンハムが書いている。一方で、ナイは政治的な視座から課題設定の大切さや説得する効果の影響を指摘している(詳細は本サイト第一章のソフト・パワーの項を参考)。
両者のアプローチは違うけれども、「官邸外交」から「広報外交」へという方法で認識は一致している。つまり、力の拡散している情報社会の中、上からの宣伝ではなく、双方の会話を進めることが大事ということである。同じことをヴァンハムは論文の中でこう語っている。"The key is to build personal and institutional relationships and dialogue with foreign audiences by focusing on values(14)."
さらに、前提認識と条件提示を踏まえた上で、国家ブランディング論とソフト・パワー論が目指す目的とは何かを考えたいと思う。残念ながら、ナイはその目的について明白に言及していないが、一方でヴァンハムははっきりと提示している。それは、情報社会の中で以下を実現することである:「外資の誘致」、「人材の確保」と「政治の影響」である。しかし、これらの目的がどのくらい達成できたかを評価するには、データ以外に、「相手の態度」が大切であると両者の議論で明記されている。ヴァンハムの言葉を引用すれば、"Brand States are composed of the outside world’s ideas about a particular country. It depends on trust and customer satisfaction(15)." つまり、他者の認識が国家ブランディングにおいてもソフト・パワーにおいても大事なにである。
以上の比較により、国家ブランディング論とソフト・パワー論には極めて高い類似性が存在することがわかる。
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1.Peter Van Ham, “The Rise of the Brand State,” Foreign Affairs, Vol. 80, No. 5, 2001, p.2.
2. ibid., p.3.
3. ibid., p.6.
4 Peter van Ham, “Place Branding; The State of the Art,” The Annals of the American Society, Vol.616, No.1, 2008.
5. ibid., pp.2-3.
6. ibid., p.21.
7. ibid., pp.4-5.
8 ibid, p.7.
9. ポストモダンの政治学…イメージと評判を武器にしたブランド国家論(1/3) http://www15.ocn.ne.jp/~hosa2/61brand1.html, 2014年9月18日閲覧。
10. ポストモダンの政治学…イメージと評判を武器にしたブランド国家論(3/3) http://www15.ocn.ne.jp/~hosa2/63brand3.html, 2014年9月18日閲覧。
11. ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一・藤島京子訳)『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)序章。
12. ナイ、前掲書。
13. Peter van Ham, “The Rise of the Brand State,” Foreign Affairs, September/October 2001 Issue.
14. Peter van Ham, “Place Branding; The State of the Art,” The Annals of the American Society, Vol.616, No.1, 2008.
15. ibid.