第1章 国家ブランディングとは
[2014年11月20日更新]
2節 非物理的・非軍事的パワー
非軍事的・非物理的パワーの台頭
はじめに
21世紀国際政治の観点から本節では、これまで産業競争力の文脈で議論される事の多かった国家ブランディングを国際関係論の視点から考察しなおすために、21世紀の国際関係における非軍事的・非物理的パワー(以下、非物理的パワー)の役割の増大について概観する。
まず、第1項において非物理的パワーの役割が増大した背景を通商国家論・相互依存論を用いて説明する。続いて第2項では、代表的な非物理的パワーの概念三つを紹介し、比較する。次に第3項では、国際政治学の議論における「パワー」概念の確認を行い、非物理的パワー論が国際政治学の諸学派の中でどういった位置づけになるかを示す。
1項.非物理的パワーの役割増大
かつて国家は、土地や資源などの有体物の占有を巡って他国と争ってきた。そして、有体物の占有のもっとも効果的な手段は物理的に軍事力を行使することであるため、土地・資源の奪い合いは多くの戦争を生んできた(1)。しかし、「第二次大戦の終結後、国際連合を中心として、新しい国際社会の平和と安全の維持のための制度が設けられることとなった(2)。」以降、国際社会は協調路線をとるようになり、国際法をはじめとする様々な安全保障の枠組みが構築された。そして、冷戦が終結することによって、(新たな地域的・民族的紛争を抱えつつも)この傾向は一層顕著なものとなそれに伴い、貿易や海外投資などの国境を越えた経済活動が活発化した。その結果、「国際関係」において、価値の源泉としての土地や資源などの重要性は相対的に低下し、世界市場におけるシェア獲得や国家イメージの形成・改善が国家の重要な役割(国益)と認識される ようになってきた。リチャード・ローズクランス(Richard Rosecrance)によれば、領土拡大によって国力を伸長する「領土国家」から、貿易によってそれを目指す「通商国家」へ変化したということができる(3)。また、この変化により国家間の問題解決の手段としての軍事力の役割は低下し、そのかわりに非物理的なパワーの役割が増大してきた。 また、コヘイン(Robert Keohane)とジョセフ・ナイの「相互依存論」で指摘されたように、今日では、上記のように国家間関係のイッシューに経済問題が加わったことで、国益の階層性の不明確化が進み、軍事・安全保障問題は必ずしも最優先課題ではなくなった。例えば「日米間」では安全保障上の対立はないが貿易摩擦の問題がそれぞれの国の行動に影響を与えている。そして、国益の階層性の不明確化の論理的帰結として、軍事力行使の可能性が減少したと考えることができる。なぜなら、軍事力は領土紛争等の安全保障上の問題でない貿易摩擦のようなイッシューを解決する手段としては最適ではないからである。ただし、こうした国際関係における変化は、国家間において「パワー」が無意味になったとか、「パワー」の行使が不可能になったことを意味するわけでは決してない。軍事的なパワーは未だに特定の国家間関係・紛争においては重要な役割を果たしている。また、経済的相互依存関係にある「通商国家」同士でも、何らかの「パワー」は行使されていると考えるべきである。つまり、武力行使を抑制する国際規範の浸透と、経済的相互依存の進展によって、軍事力とは異なる新たな形態のパワー(非物理的パワー)が機能する場面が増大してきたと解することが妥当であろう。
2項.非物理的パワー
脆弱性を利用したパワー、構造的権力、ソフト・パワー軍事力などのハード・パワーに代わって台頭してきたのが非物理的パワーである。この中には相互依存関係における脆弱性を利用したパワー、構造的権力、ソフト・ パワーなどがある。
★脆弱性を利用したパワー
経済的相互依存関係が進み、軍事力行使の可能性が減少した一方で、新たな(非物理的な)パワー・リソースとして「脆弱性」(vulnerability)が生まれた(4)。脆弱性とは、相互依存関係(例えば貿易関係)が切断された時に被る損害(調整コスト)の大きさの例えば、石油産油国と日本とでは、軍事的なパワーの関係以上に石油の有無がパワーの大小となる。石油を対外依存する日本に対して、産油国は日本に石油を売らなくても構わない。 産油国は石油の売買を盾に日本に対して様々な要求を行うことができる。この場合石油を自給自足できる国家(OPEC加盟国やブラジル、シリアなど)は「脆弱性が小さい国」で、石油を第三国に依存せざるを得ない日本は「脆弱性が大きい国」である。「脆弱性が小さい国」は「脆弱性が大きい国」にパワーを行使できる。このような脆弱性を利用したパワーは、従来の軍事的パワーとは次の点で異なっている。第一に、政府の管理下だけでなく、企業などの民間セクターなども行使できるパワーであること、第二に、パワーの大きさは依存先の数や依存量で相対的に決まること、第三に、パワーの源泉がすべての国に等しく通用するわけではないことである(5)。これらの特徴は、国家ブランディングの効果にも当てはまると考えられる。 脆弱性を弱めるには相互依存関係を低下させる方法があるが、経済的相互依存から得られる利益を失うこととなる。2014年現在、日本ではTPPの交渉が継続されており、世界各国でFTAが結ばれていることから、国際的に脆弱性が強まることを懸念する以上に相互依存を進める傾向が強くなっていて、軍事力は相対的に益々弱まることが予想される。
★構造的権力
構造的権力とは、国際政治経済学者のスーザン・ストレンジ(Susan Strange)によって提唱された理論である(6)。
ストレンジは、政治経済において行使される権力を、「関係的権力」と「構造的権力」の二つに分類する。関係的権力とは、従来の国際政治経済学の言うパワーのことで、例えば「Aの働きかけによってBになにかをさせる」、直接的で強制力を伴うようなパワーである。軍事力などの行使はまさにこれに当てはまる。しかし、強制力が唯一の権力の源泉ではない、とストレンジは主張する。それを補完するのが、もう一方の構造的権力という概念である。 構造的権力とは、端的に言えば、世界の政治経済構造を形づくり、決定するような力のことである。
「構造的権力とは、どのように物事が行われるべきかを決める権力、すなわち国家、 国家相互、または国家と人民、国家と企業等の関係を決める枠組みを形づくる権力、を与えるものに他ならない(7)。」具体的な例では、1944年のブレトンウッズ体制によって米ドルが世界の基軸通貨になったことが挙げられる。これにより、アメリカは国際金融システムを自分に有利なものにした。 また、ストレンジは構造的権力の中には、四つの構造があると述べている。その構造とは、知識、安全保障、金融、生産の四つである。上記したブレトンウッズ体制の例は、金融に当てはまるだろう。ストレンジは、四つのうち一つだけが他の三つより重要とは限らないし、そしてそれぞれは関連し相互に支え合っているとしている。
★ソフト・パワー
相互依存論をコへインと共に提唱したナイは、非物理的パワーの重要性を、「ソフト・パワー」という概念で主張している(8)。 ソフト・パワーとは、ナイによれば、「自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、 他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力である(9)」。ソフト・パワー論においては、上記二つの非物理的パワーの議論と比べ、魅力や説得、課題設定といった非強制的な行動により他国を味方に付ける戦略的側面が強調されている。そのためソフト・パワーたる魅力の源泉に着目している。ナイは、主な源泉として、文化・外交政策・政治的価値観の三つを挙げている。これらは、国家ブランディングにおいても、国家ブランドの主要な構成要素であると考えられる。(ソフト・パワーの詳細については、次節参照。)
3項.国際関係における「パワー」とは?
非物理的パワーの位置づけパワーとは何かについての議論は、長年、政治学及び国際政治学の中心的議題であった。しかし、現代に至ってもパワーに関する共通の定義は、存在しない。その背景には、「パワーとは『意図された結果の創出』に関わる現象であり、『何の創出が目指されるのか』」(10)によって、そのあり方は大きく違ってくると考えられるという事情がある。しかし、デヴィッド・イーストン(David Easton)の「政治」(politics)の定義(11)やロバ ート・ダール(Robert Dahl)の「パワー」の定義(12)を国際関係に援用するならば、ここで暫定的に、国際政治におけるパワーとは、「相手国の行動を左右して国際社会における価値の分配を実現する能力」と規定することができよう。そして、そのようなパワーに対する国際政治学のアプローチは、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムの三つに大別することができる。
まず、リアリズムは、アナーキーな国際社会において国家が相対的利得(relative gain)を追求するという前提に立って議論を展開しており(13)、そのような前提に立つ限り、国家間の「協調」は困難であるから、国益の実現のためには「パワー」の行使が不可欠であると見る。一口にリアリズムと言っても、勢力均衡論(モーゲンソー)、二極安定論(ウォルツ、 ミアシャイマー)、覇権安定論(ギルピン、クラズナー)など多岐に渡るが、国際政治の本質を権力闘争(パワー・ポリティックス)と捉える点は共通しており、またパワーの中核が軍事力であると認識している点も共通している。ケネス・ウォルツ(Kenneth Waltz)は、そのようなパワーが不均等であるという国際システムの「構造」が、各国家の対外政策を決定づけていると論じている(14)。一方、リベラリズムは一定の条件下で国家間の協調は可能であると考える(例えば、いったん「国際レジーム」が形成されれば、取引コスト削減のメリットやルール違反に対する制裁の恐怖などから協調は維持されるという議論など)(15)。そのため、軍事的なパワーが果たす役割については、あまり重視しない傾向がある。また、国家中心的(state-centric)な思考のリアリズムとは対照的に、リベラリズムの議論においては、統合論(ハース)、相互依存論(コへイン=ナイ)、通商国家論(ローズクランス)などのように、非国家的主体(non-state actor)やその経済的活動が国際政治の本質的要素と考えられており、そうした主体・活動によって生まれる非軍事的なパワーに関心が向けられている。したがって、 先述した三つの非物理的パワー(脆弱性を利用したパワー、構造的権力、ソフト・パワ ー)の議論は、基本的にリベラリズムと重なる部分が多い。国家ブランディングの国際関係論についても同様である(16)。 また、冷戦の崩壊後、世界システムは大きく変容したが、この変化をリアリズム/リベラリズムの立場からはうまく説明出来ないということもあり、国家の目的やアイデンティティーは歴史によって形作られるとするコンストラクティビズムが注目を集めている。Hopfによると、リアリズムは、国家は自己の国益を追求すると見なすが、一方でコンストラクティビズムは自国の歴史的、文化的、政治的、社会的文脈に重きを置く(17)。 また、ピーター・ヴァンハム(Peter von Ham)は、このコンストラクティビズムという考え方は、アイデンティティは文脈的で順応性があるものであると考える点で非常に国家ブランディングと親和性がある(18)と述べている。
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1. 遠矢浩規 「通商国家と知的財産権 ―国際政 治経済学による知的財産権原論―」知的財産法政策学研究 vol.34(2011年)、178-179 項。
2. 中谷和弘、植木俊哉、河野真理子「国際法」(有斐閣、2006年)、16頁。
3. リチャード・ローズクランス 「新貿易国家論」(中央公論社、1987年)。
遠矢、前掲書、179頁。
4. 山本吉宣「現代政治学叢書18 国際的相互依存」(東京大学出版会、1989年)、110頁。
5. 山本、前掲書、22-23頁。
6. スーザン・ストレンジ 「国際政治経済学入門 国家と市場」(東洋経済印刷、1994年)、37頁。
7. ストレンジ、前掲書、38頁。
8. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『ソフト・パワー』(日本経済新聞社、2004年)、19-61頁。
9, ナイ、前掲書、26頁。
10. 神谷万丈 「ポスト9•11の国際政治におけるパワー」(国際問題 No.586 、2009年)。
11. デヴィッド・イーストンは「政治体系」において、政治とは「社会に対する価値の権威的 配分(the authoritative allocation of values for a society )」であると論じた。
David Easton, “The Political System: An Inquiry into the State of Political Science,”,(Knopf, 1953).
12. ロバート・ダールは「the concept of power」において、パワーとは「B がしなかったであ ろう事をさせるという点で A は B に対してパワーがある(A has power over B to the extent to which he can get B to do something that B would not otherwise do)」と言う 事が出来ると定義した。 Dahl, Robert A., The Concept of Power , Behavioral Science, 2:3 (1957:July) p.201.
13. ギルピンらによる。
14. Kenneth Waltz, Hedley Bull, and Herbert Butterfield, Theory of International Politics, (Addison-Wesley Pub. Co., 1979.)
15. ロバート・コへイン著 石黒馨, 小林誠訳「覇権後の国際政治経済学」1998年 晃洋書房
16. Peter von Ham."Place Branding: The State of the Art" The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science, March 2008 616: pp.126-149.
17. Hopf, Ted. "The promise of constructivism in international relations theory". International Security, vol.23, 1998 p.176.
18. von Ham. op. cit.