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第1章 国家ブランディングとは

1節 はじめに

2節 非物理的・非軍事的パワー

3節 ソフト・パワー

4節 国家ブランディング

5節 パブリック・ディプロマシー

 

[2014年11月20日更新]

3節 ソフト・パワー

 

ソフト・パワーの概要

 国際関係における伝統的なパワー(軍事力、経済力を背景にした威嚇等)に対する考え方としてソフト・パワーが登場した(1)。ソフト・パワーとは、提唱者のナイによれば、望む結果を引き出すために、課題の枠付けをし、説得し、魅力を感じさせ、吸引的な手段で相手に影響を与える能力である。同時に、相手が正当であるとみなすものであるのに対して、「ハード・パワー」(hard power)は資源にも基づく武力行使、支払、ある種の課題設定である。ハード・パワーが国家主体で「押す力」だとすれば、ソフト・パワーは政府が完全に管理出来ない「引き寄せる力」と言える。

 ソフト・パワーの源泉は、主に三つある。相手国で魅力的だと思われている文化、②国内外問わずそれに従って行動している政治的価値観、③他国から正当で倫理的に正しいと思われている外交政策。ただし、源泉に重要な関わり方をしてくる要素として、経済・軍事資源と信頼性の二点があげられる。ソフト・パワーはもともと長期スパンにおける繰り返しゲーム(ゲーム理論)の中で発揮できるパワーであるため、信頼性は対外関係においては、もっとも重要な資源であると言っても過言ではない。国家はソフト・パワーを作り出すために、文化やストーリーを活用し自国の良さを伝えようとするが、発言内容やシンボルが国内の現実と一致しなければ、逆に反感を買うことになる。

 ソフト・パワーの行使には、三つの要素が必要とされる(2)。第一に、魅力の発信:国家の魅力の中枢をなすのは「善意」「有能」「カリスマ性」という三つの資質である。魅力によってソフト・パワーが生みだせるかどうかは、主体の持つ資質と、それが相手にどのように認識されたかに左右される。第二に、説得:魅力と密接な関係にある説得において議論の合理性が命であり、さらに、どの点を強調して魅力を出すかという操作性も大事である。第三に、課題の枠付けがある。

 しかし、ナイは、ソフト・パワーだけでは国家の抱える問題を解決できないことも多いので、ソフト・パワーをスマート・パワーの中で使うことが大切だと主張している(3)。スマート・パワーとは、「強制と金銭の支払というハード・パワーと、説得と魅力というソフト・パワーの組み合わせ」である。力の源泉と戦略を組み合わせて、状況にあわせて効果的な戦略を構築する能力を発揮し、成功を収めることがスマート・パワーの最終目的である。

 

ソフト・パワーの問題点

 ソフト・パワー論の抱える問題点や限界については、他の学者が指摘するだけでなく、提唱者のナイ自身が指摘する点もいくつかある。ナイの指摘する問題点と限界としては主に、①魅力によって望む結果が得られるかどうかは状況に大きく依存すること、②政府が魅力を完全に管理することが出来ないこと、が挙げられる(4)。①に関しては、ソフト・パワーは一定のものではなく、時期と場所によって変化するものであり(5)、魅力によって必ず望む結果が得られるとは限らないという意見である。そのため、魅力によって望む結果が得られる可能性の高い状況と、可能性の低い状況とを見極めることも重要である(6)。②に関しては、政府がソフト・パワーの源泉である文化を完全に管理できない故に、民間の持つソフト・パワーが政府の外交政策と対立する可能性があるという懸念である。よって政府が行動や政策によってソフト・パワーを強めるよう注意することが大切になってくる(7)

 また今野茂充は上記以外の問題点として、③ソフト・パワーの行使による直接的な効果が測定しにくいこと(8)、④ソフト・パワー論はもともと大国向けに考案された議論であること(9)、⑤政策面で大きな失敗を犯した場合、短期的には状況を挽回することが困難になること(10)、⑥ハード・パワーとの調和が課題になることを挙げている。③に関しては、ソフト・パワーの行使の際には、現実には魅力以外の要素が影響することも多く(11)、ナイ自身が指摘するように、世論調査の結果だけでは魅力の源泉を計る上で不完全であるため(12)、効果の測定や予想は難しいという指摘である。④に関して、もともとソフト・パワー論は冷戦末期に米国衰退論に対する反論としてナイが提示したという経緯があるため、中小国にも同じ論理が適用できるかどうかについては慎重に検討する必要がある。⑤に関して、どれほど潤沢に源泉を有していて、地道にソフト・パワー向上の努力をしていても、政策の失敗によりその努力が一瞬にして無に帰す可能性は常に存在する(13)。⑥については、ナイ自身もこの課題を認識していたからこそ、スマート・パワー構想に至ったと考えられる。また今野は、ナイの概念規定が曖昧なこともあり、特に日本においてソフト・パワー論の都合の良い面ばかり捉えられている傾向を危惧している。また、ネオ・リアリスト(neo-realist)からは、国家はハード・パワーを通してしかソフト・パワーを活用できない、豊富な軍事力、経済力、産業競争力を持つ国しかソフト・パワーを効率的に活用出来ない、と批判されている。

 

ソフト・パワーと国家ブランディングの比較

 ソフト・パワーと同系統の考え方として、後述する国家ブランディング論が挙げられる。ここでは、ソフト・パワーと国家ブランディングとの接点、より具体的には類似点および相違点に関して考察する。

 ソフト・パワー論と国家ブランディング論の二つに共通している点は細部まで見ると無数に存在している。ただし、考え方の土台を構成している重要な要素に限定するのであるならば三つの類似点がある。①どちらの議論も政策志向であるということである。ナイは『スマート・パワー』において、政策志向の観点や政策立案者の立場を繰り返し強調している(14)。他方で、国家ブランディング論の代表的な論者であるアンホルトは、国家ブランディングは国家間の対話ではなく、政策であると述べている(15)。②両論とも「行動」がキーワードになっていることである。ナイは「行動によって定義される力」=「ソフト・パワーを含めたスマート・パワー」が21世紀に必要になる(16)と述べた上で、スマート・パワーは一つの指標で測りづらく長い目で見ていかないといけないことを示唆している(17)。アンホルトも国家ブランドは行動で評価されるとしており、しかもその結果は漸進的にしか現れないと主張している(18)。③最後に最も重要なのが、ナイはソフト・パワーの源泉に文化・外交政策・政治的価値観を示したが、ヴァンハムも国家ブランドの構成要素として、文化・政治的思想・政策を提示しており(19)、両者は非常に似ていることが分かる。とりわけ、望む結果を得るために物理的強制力を用いるのではなく、イメージや価値観の共有という手段で訴えていく点には注目すべきものがある。

 しかし、類似点ばかりではなく相違点も存在する。国家ブランディング論ではその議論の中で必ず国家アイデンティティを重要視している。アンホルトの議論然り、ヴァンハムの議論然り、国家ブランディングとアイデンティティの議論は切っても切れないものになっており、対外的なイメージ発信だけでなくそのイメージが発信者側のアイデンティティとならなければいけないことが強調されている(20)(21)が、ソフト・パワー論ではアイデンティティについて取り立てて言及されているわけではない。

 一方、ソフト・パワー論のみで重要視されている点もある。それはナイの述べるところの課題設定と国家間の多辺的な関係においての信頼性の二点である(22)。ナイはこの二点を非常に重要視していることが伺える。ソフト・パワーでは、源泉を効率的かつ適切に活用していくには課題の枠付けをして説得力を増す必要がある。また、『スマート・パワー』では、ソフト・パワーの決定的な資源として信頼性を強調している(23)。また、国家ブランディングとソフト・パワーを行う目的も厳密には違っている。国家ブランディングの目的は、直接的には国家の差別化、つまり脱コモディティ化することである。しかし、ソフト・パワー論では、他国への影響力の増大や政策への支持拡大が目的とされている(24)

 

ソフト・パワー論の政策的応用

 ナイ以外にもソフト・パワーについて議論を行ってきたものは少なからず存在する。しかしどの議論もナイの主張をベースに展開されており、むしろナイの考えがどのように現実の政策として実行できるのかという点について、当該国の外交・文化交流に影響力のある人間が政府系機関・シンクタンク等で議論を活発にしている。

 ドイツを一例にとると、ドイツ対外文化交流研究所(IFA)で十年間事務局長として活躍したクルト-ユルゲン・マース博士(Kurt-Jürgen Maaß、テュービンゲン大学政治研究所名誉教授)は文化外交の研究を通して、自国におけるソフト・パワーの可能性を模索してきた(25)。ドイツでは第二次大戦前からアレクサンダー・フォン・フンボルト財団、ゲーテ・インスティテュート、ドイツ学術交流会のような多くの独立的な研究機関・NPOが形成され体系的な外交実践がはかられてきたが、マースによればドイツの文化外交政策は、①外交目標を達成するための「宣伝」アプローチ、②「価値観・理想」についての対話、③新たな考え方を迫るような国際的「競争」の拡大、という三つの側面があったという。そして、ソフト・パワーについては宣伝方法に寄与する何かとして捉えており、あくまで中長期的な外交目標達成のために広報外交(=パブリック・ディプロマシー)として実践されるべきものと説いている(26)

 ところで、上記のドイツ文化外交政策の三側面の内、①はナイの論ずるところの「魅力」の発信に相当するものと思われるが、②は「課題設定」「説得」といったソフト・パワー行使のプロセスと共通するものである。これは、冷戦後におけるドイツの外交政策が、貧困な旧社会主義国(東欧等)への経済的支援・民主主義伝播、及びEUへの加盟推進を主軸としてきたことにも現れている。マースはまた、文化外交が外交政策で重要性を増しつつある点を強調し、文化外交における国際「競争」の到来を指摘している(③)(27)。世界共通語としての英語の文化的プレゼンスやブリティッシュ・カウンシルの運営方法・将来計画について英国には非常に高い評価を下している一方で、米国に対しては調査研究や科学シンクタンクの豊富さ、優秀さを認めつつも、ここ10年間でそうした研究成果は何一つ実行されていないと断じている。マースは、目下国際「競争」の最大のライバルになるのは中国であると指摘しており、孔子学院を全世界に設立するスピードと積極性には驚嘆を示している。尚、日本については2020年東京オリンピックが文化外交を再編成し国際的イメージを一新させる絶好の機会になるだろうと言及している(28)

 以上のようなマースの主張、外交目標達成を重視してきたドイツの文化外交政策及びソフト・パワー論とは対照的に、現状の日本のソフト・パワーに対する姿勢は、あくまでも経済成長に寄与する何か、という曖昧な位置づけである(29)。クール・ジャパン戦略等を参照するにつけても、大規模な民間事業支援策を施してはいても(30)、それがどこまで国際的な魅力評価向上につながっているかは定かではない。そもそもの経済産業省の問題意識が、「低下が見込まれる内需を外需で補填すること→外需を呼び込むための吸引力→日本の魅力」という流れに基づいているため(31)、(衣食)文化・コンテンツを素材とはしながらも、ナイのいうような「課題設定」「説得」といったソフト・パワー行使には即していないと言えよう。これらの問題は、日本にソフト・パワーや文化・広報外交を専門とする研究者が少ないこと、また政策に影響力のある欧米型のシンクタンクがそもそも日本には皆無であり(32)、そうした研究者の知見を吸い上げる土壌が存在していないこと、などが要因として考えられる。

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1. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『ソフト・パワー』(日本経済新聞社、2004年)、34頁。

2. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)、125頁。

3. ナイ、前掲書、14頁。

4.  ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『ソフト・パワー』(日本経済新聞社、2004年)、40-44頁。

5. ナイ、前掲書、40-44頁。

6. ナイ、前掲書、40-44頁。

7. ナイ、前掲書、40-44頁。

8. 大石裕・山本信人編著『イメージの中の日本 ソフト・パワー再考』(慶応義塾出版会株式会社、2008年)。

9. 大石・山本、前掲書。

10. 大石・山本、前掲書。

11. 大石・山本、前掲書。

12. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『ソフト・パワー』(日本経済新聞社、2004年)、40-44頁。

13. ナイ、前掲書、40-44頁。

14. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)、28-30頁。

15. Simon Anholt, Places: Identity, Image and Reputation (Palgrave Macmillan, 2009), Chapter1.

16. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)、31頁。

17. ナイ、前掲書、30-32頁。

18. Anholt, op. cit., Chapter1.

19.  Peter van Ham “Place Branding; The State of the Art” The Annals of the American Society, Vol.616, No.1, 2008, pp11-22.

20. サイモン・アンホルト(Simon Anholt) 「日本は「二つの難問」を解決できるか」『外交』第3巻、2010年、8-15頁。

21. See Peter van Ham “Place Branding; The State of the Art,” The Annals of the American Society, Vol.616, No.1, 2008, pp11-22.

22.  ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)、117-120頁。

23.  ナイ、前掲書、117-120頁。

24.  ナイ、前掲書、117-120頁。

25. クルト-ユルゲン・マース(Kurt-Jurgen Maas)『文化外交:外交におけるソフト・パワーの可能性と限界(前編)』、をちこち Magazine(2013年9月), 

http://www.wochikochi.jp/relayessay/2013/09/cultural-diplomacy01.php, 2014年9月10日閲覧。

26. ユルゲン・マース、前掲書。

27. クルト-ユルゲン・マース(Kurt-Jurgen Maas)『文化外交:外交におけるソフト・パワーの可能性と限界(後編)』。

をちこちMagazine(2013年9月), http://www.wochikochi.jp/relayessay/2013/12/cultural-diplomacy02.php, 2014年9月10日閲覧。

28. ユルゲン・マース、前掲書。

29. 経済財政諮問会議(平成21年第5回)議事次第『成長戦略(ソフトパワー分野)について(二階議員提出資料)』(平成21年3月3日)。

http://www.meti.go.jp/policy/sougou/juuten/simon2009/simon2009_5-2.pdf, 2014年9月10日閲覧。

30. 経済産業省商務情報政策局 生活文化創造産業課『クール・ジャパン政策について』(平成26年6月)。

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/kisoshiryo.pdf, 2014年9月10日閲覧。

31. 経済財政諮問会議、前掲書。

32. 鈴木崇弘『日本になぜ(米国型)シンクタンクが育たなかったのか』(2011/04) 季刊 政策・経営研究2011 Vol.2。

http://www.murc.jp/english/think_tank/quarterly_journal/qj1102_03.pdf, 2014年9月10日閲覧。

 

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