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第1章 国家ブランディングとは

1節 はじめに

2節 非物理的・非軍事的パワー

3節 ソフト・パワー

4節 国家ブランディング

5節 パブリック・ディプロマシー

 

[2014年11月20日更新]

 

5節 パブリック・ディプロマシー

 

はじめに

 今まで国家ブランディングやソフト・パワーの内容について述べてきた。中には、これはパブリック・ディプロマシーと同義なのではないか、という疑問をもつ者もいるであろう。確かに、国家ブランディングとソフト・パワー、パブリック・ディプロマシーには、共通点がある。それは、どれも相手国や相手国にいる国民に持たれる国のイメージを変えることによって、国の政策目標を達成しようとする点である。しかし、これらの概念は全く同じものではない。国家ブランディングやソフト・パワーは、パワーの源泉や魅力の源泉についても言及するのに対し、パブリック・ディプロマシーはあくまでも、その源泉や魅力をどのように相手国や相手国の国民に発信するか、という方法論に終始するからである。以下では、パブリック・ディプロマシーの内容や変遷とともに、ソフト・パワーと国家ブランディングとの違いについてより詳しく述べていく。

 

パブリック・ディプロマシーの定義

  パブリック・ディプロマシーとは、自国の政策目標を達成するために、政府が相手国の国民に対して心と精神を勝ち取るよう、働きかけることである(1)。通常の外交は、国家を代表する政府や議員が相手国のカウンターパートとともに、一国に留まらない問題について話し合いや交渉によって、解決を試みる行為を示す。つまり、パブリック・ディプロマシーを通常の、伝統的な外交と比べたとき、その最大の特徴は、近年では「市民外交」「民間外交」も広義的にはその定義に含まれるようになったように、政府が働きかける相手が相手国の国民である点にある。さらに、通常の外交は、政策目標をできるだけ短期的に達成することが目標である一方、パブリック・ディプロマシーはより長期的な視点をもっている(2)

 

パブリック・ディプロマシーの歴史的変遷

 パブリック・ディプロマシーという言葉が、外交手段の一つとして公に語られたのは、1965年のアメリカの元外交官によってであった(3)。しかし、その起源は、もっと昔に遡ることができる。例えば、紀元前300年頃のギリシャやローマ帝国では、国王が新たな征服下においた相手国の国民に対して寛容を示し、彼らが新たな支配国に好感や魅力を抱くような施策を取っていた(4)。戦争によってぶつかり合う国内外の異民族や異教徒との争いを最小限にし、円滑な統治を進めることに、パブリック・ディプロマシーは使われていたのである。

 ただし、この時代の外交は、一般市民の知り得ぬところで行われる秘密裏の交渉であるという前提をもっていた。この前提が崩れた契機が、第一次世界大戦である。最初の総力戦となったこの大戦では、相手国の政府のみならず、国民の心も勝ち取らなければ勝てなかったのである。今までの外交が前提としていた外交の秘密性や排他性は崩れ、外交が一般市民により開かれるようになったことに加え、彼らの同意が不可欠な新たな外交体系に様変わりした(5)

 

プロパガンダとパブリック・ディプロマシーとの違い

 この新たな外交の時代に行われた外交として「プロパガンダ」(propaganda)に触れると同時に、パブリック・ディプロマシーとの違いに言及しなければならないだろう。第二次世界大戦のナチスのプロパガンダにより、プロパガンダは、国の一方的な広報活動、という認識が広がった。しかし、プロパガンダには三つの種類がある。ホワイト、グレー、ブラックである(6)

・  ホワイト……情報源が多数にあり、オープンである。

・  グレー………情報源が不明

・  ブラック……情報源が1つで、隠されている。

 このホワイト・プロパガンダ、というのが特に新たな外交におけるパブリック・ディプロマシーと同じ姿勢を持っている。では、プロパガンダの三つの違いはどう生まれるのか。それは、プロパガンダとパブリック・ディプロマシー、それぞれで使われる手法の違いから考察できる。

 パブリック・ディプロマシーには、大きく分けて五つの手法がある(7)。①対象理解、②政策広報、③文化外交、④交流外交、⑤国際報道である。プロパガンダは宣伝活動を目的としており、その手法は①②⑤である。よって、一方的な情報発信となる。他方、パブリック・ディプロマシーには③④の手法が含まれるため、双方向な情報発信が可能になるのである。一方向なプロパガンダは情報源を確かめることが難しいが、双方向であれば情報源を隠す方が難しく、より正確なものとなる。

 また、アンホルトは、プロパガンダとパブリック・ディプロマシーの違いを「実質」(substance、本質や実際に政策に沿った活動が行われている状態)の有無で説明している(8)

 

新たな外交の先

  第一次世界大戦を契機として活発になった新たな外交では、よりよいプロパガンダとしてパブリック・ディプロマシーが位置づけられる傾向にあったといえる。その位置関係がまた変化したのは、冷戦が落ち着き、急速なグローバル化、民主主義国的、文化主義的な価値観の広まり、情報革命によるユビキタス化、国際NGO、NPOなど非政府組織の台頭が進んだ頃である。外交がより市民に開かれた結果、外交の目標を達成するためには、相手国政府だけでなく、相手国の市民や世界の人々に大きな影響力をもつ組織などに対してもアプローチする必要性が以前に増して高まった。国のパワーについて新たな考え方が提唱され始められたこの頃、脚光を浴びたのが、ソフト・パワーの概念である。

 

ソフト・パワー時代のパブリック・ディプロマシー

 ナイがソフト・パワーという概念を提唱すると、パブリック・ディプロマシーに関しても、その活用が検討された。ソフト・パワーは「ハード・パワーほどには政府が管理できるわけではない(9)」ために、必要に応じてアクター間で相互連携することが重要になってくる。このことから、パブリック・ディプロマシーにおける政府の役割は、アクター間のネットワークを「支配」することではなく、アクター間のパートナーシップづくりやプラットフォームづくりを通じて、相互連携を「支援」することにあると考えられるようになってきた(10)

 これが「ニュー・パブリック・ディプロマシー」(new public diplomacy)の考え方である。ソフト・パワーの考え方に端を発しているので、ソフト・パワーの概念を組み込んだパブリック・ディプロマシーのあり方ともいえる。

 ニュー・パブリック・ディプロマシーが直面しているのは、「政府の関与が強すぎると、かえってソフト・パワーを低減しかねないという逆説」である(11)。政府の関与をどこまで認めるのかということがここで問題になってくる。

 

クールジャパン

 このことについて、クールジャパンを例にとって考えてみる。クールジャパンとは「アニメや漫画、ゲームやファッション、食などの分野で、日本の文化的魅力を体現する製品・サービス・人材などを、海外に向かって積極的に発信・振興していこうとする取り組み(12)」である。実際は、当分野にかかわる日本企業の海外展開・海外への情報発信を経済産業省が金銭的に支援するのが主となっている政策ではあるが、海外からは「自己陶酔的」と評され、国内からも「官製クールジャパン」と揶揄される(13)など、評判は必ずしもよくない。

 なぜ評判があまりよくないのかということを考えると、原因の一端として、先述のような役割を政府が担っていなかった点があげられる。政府はクール・ジャパンの原動力ともなる日本企業のパートナーシップづくりやプラットフォームづくりを支援・連携するような政策を効果的に打ち出すことができなかった。アクター間での「新しい連携」を生むような役割を政府は持ちえていなかったといえるだろう。民間を巻き込んでクールジャパンを推進することができなかったことが、国内外から批判を招く結果となったと考えられよう。

 

国家ブランディングとパブリック・ディプロマシーの関係

 パブリック・ディプロマシーと国家ブランディングとの関係はどのようなものであるか。国家ブランディングとは、「他国が持つ自国の国家イメージと自国の国家アイデンティティを一致させる」ことである。相手国の世論形成に大きくかかわるという意味では、パブリック・ディプロマシ―と同じである。しかし、(4節で)先述したように国家ブランディングは、自国の国家アイデンティティの形成発掘に大きく力を入れる。こうしたインターナルマーケティングの要素は、パブリック・ディプロマシーは持ち合わせていない。パブリック・ディプロマシーの研究者である北野充によると、「パブリック・ディプロマシーは、海外の個人及び組織を対象として行う活動である点で、対内広報とは区別される(14)」ものであり、国家ブランディングの方が扱う領域が大きいことがわかる。このように、国家ブランディングとパブリック・ディプロマシーでは、扱う領域が重なっていたり、異なっていたりする。

 

(1)重なる領域

   重なる部分はどこなのであろうか。北野はさらに、「国家ブランド構築は、国家のブランド・イメージを明確化し、その浸透を図るものであるが、そのために、政策広報としての情報発信、国際文化交流、国際放送といったパブリック・ディプロマシーの個別の手段が駆使される」と述べている(15)。これは、国家ブランディングにおいて、相手国民に自国の国家ブランド・イメージを理解させるという意味において、パブリック・ディプロマシーは国家ブランディングの一手段になり得るということである。

 

(2)異なる領域

 では、異なる領域はどこであるか。まず、国家ブランディングにのみ存在する領域についてだが、産業育成、経済成長という領域が挙げられる。北野はこれについて「国家ブランドにかかわる議論の中には、国内の産業育成・活性化を目指しているものもあり、それはパブリック・ディプロマシーというよりは、経済、産業の範疇でとらえる方が適切」であると述べている(16)。つまり、パブリック・ディプロマシーは、あくまで政策目標の達成、政治的優位を目指す中での、相手国民の自国への適切な理解とプレゼンスの向上を目的としているのであり、その結果として起きる経済への影響は、パブリック・ディプロマシーの直接の目的ではないのである。逆に国家ブランディングは、より包括的概念であり、「魅力的な国家アイデンティティーは、政治的、社会的資源であり、とりわけ経済的に大きな効用をもたら」し、具体的には「企業は海外からの投資を獲得し、市場において勝利を収めることができる(17)」。では、パブリック・ディプロマシーにのみ存在する領域はなんであろうか。

 それは、文化国際主義的側面である。渡辺によれば、文化国際主義とは、パブリック・ディプロマシーのもたらす情報や文化の持つ「政治性」や「戦略性」を問題視し、ユネスコ憲章に象徴されるような「万人のための基礎教育」や「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」を目的として活動するべきだという博愛主義の精神である(18)。文化国際主義の立場では、文化は誰かの利益の為に存在するべきものではなく、世界中のすべての人の為に存在すべきものなである。文化芸術の交わりを通じて、共通の感覚(共感)を得ることで、インターナショナルの精神が育まれるのである。国際益を目指すパブリック・ディプロマシーにとって、こうした文化国際主義のトランスナショナルな脱領域性は非常に重要である。しかし、この文化国際主義の立場をもつ文化外交はパブリック・ディプロマシーの範疇に入れるべきではないという学者も多い。現状では、パブリックディプロマシーの範囲が明確に定義されていないという問題がある。

 

(3)相互作用

 以上に見てきたように、国家ブランディングとパブリック・ディプロマシーは重なる部分が大きく、互いに影響しあっているはずである。では、この二つの概念は、どのような相互作用を持つのであろうか。一つは、国家ブランディングにより構築された国家アイデンティティが、パブリック・ディプロマシーの重要な一環をなしていることである。日本のイメージを伝えるという意味では、日本のアイデンティティが確立されたものであれば、広報は信頼を持ったものになる。この点について、金子将史は、「パブリック・ディプロマシー戦略」は、政府の全体的な外交戦略に即したものでなければない。」と述べ、イメージと実態の一致の重要性を説いた(19)。つまり、国家ブランディングの一手法である、パブリック・ディプロマシーをより、有効にするものは、国家ブランディングそのものであるということである。

 もうひとつは、パブリック・ディプロマシーには、国家ブランディングで形成された、国家イメージを管理する役目があることである。国家ブランディングをして、生まれた国家ブランドは、ソフト・パワーの議論でも明らかになったように、影響を与えるまでに、時間がかかるものであり、長期的に維持されなければならない。その方法として、対外的な役目を担うのがパブリック・ディプロマシーである。小川によると、イギリスでは、国家ブランドを扱う専門組織として、「英国プロモーション・ユニット」が立ち上げられ、国家ブランド管理に関連する支援や体系的な業績評価を行わせたり、パブリック・ディプロマシー戦略会議が設立された(20)。また、文化交流の強化も行われた。独創的、長期的、創造的な現代英国の多様性を発揮するために、国家ブランド管理の新しいアプローチの必要性が認識される。その結果、ブリティッシュカウンシルの活用や官民の連携につながった。このようにして、パブリック・ディプロマシーは、国家ブランドの管理機能を担っているのである(21)

 

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1. 渡辺靖著『文化と外交』(中央公論新社、2011年)、26,95,149頁。

2. 北野充『パブリック・ディプロマシー「世論」の時代の外交戦略』(PHP研究所、2007年)22-23頁。

3. 渡辺、前掲書、22頁。

4. 渡辺、前掲書、31-32頁。

5. 渡辺、前掲書、42頁。

6. William A. Levinson,“An Introduction to Propaganda,” 1999,  http://www.stentorian.com/propagan.html、2014/07/07閲覧。

7. 渡辺、前掲書、70頁。

8. Simon Anholt, Places: Identity, Image and Reputation, (Palgrave Macmillan, 2009), p.16.

9. ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)『ソフト・パワー』(日本経済新聞社、2004年)39頁。

10. 渡辺、前掲書、65-66頁。

11. 渡辺、前掲書、67頁。

12. 三原龍太郎『クール・ジャパンはなぜ嫌われるのか ————「熱狂」と「冷笑」を超えて』(中央公論新社、2014年)3頁。

13. 三原、前掲書、33,56頁。

14. 北野、前掲書、28頁。

15. 北野、前掲書、32頁。

16. 北野、前掲書、32頁。 

17. 小川忠『パブリック・ディプロマシー「世論」の時代の外交戦略』(PHP研究所、2007年)133頁。

18. 渡辺、前掲書、116-117頁。

19. 金子将史『パブリック・ディプロマシー 「世論」の時代の外交戦略』(PHP研究所、2007年)304頁。

20. 小川、前掲書、135頁。

21. 小川、前掲書、135頁。

 

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